当面の休診日のお知らせ
お間違えのないようご注意下さい。
*2月:2月4日(土)は休診いたします。
*3月:3月4日(土)は休診いたします。
3月18日(土)、3月20日(月)は、院長・副院長の医療研修のため休診いたします。
*4月:4月1日(土)、4月15日(土)は休診。
◎土曜日は不定期に休診いたしますので、ご予約なしに受診される場合は予め必ず電話にてご確認下さい。
 
 
犬(戌)にまつわる格言・ことわざ
・・・院長が、辞書と首ったけで調べました。今年は戌年です。年始恒例のことわざ調べ、年頭にあたり、犬 (戌)にまつわる格言・ことわざを辞書で調べてみました。犬と言えば、「忠実」「質実剛健」「安産」「多産」など、良いイメージも多いのですが、犬はことわざの上ではあまり良くない意味で使われているものが目立ちます。
 
●犬に論語
 ありがたみのわからないこと。(「犬に◯◯」と試験で見た記憶があります。)
(同義=猫に小判。豚に真珠。馬の耳に念仏。他)
 
●犬も朋輩(ほうばい)鷹(たか)も朋輩(ほうばい)
 同じ会社に勤めている以上は、気の合わない同僚がいても互いに仲良くしてゆく義務がある。
 
●犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ
 犬のような獣さえ主人の恩は長く忘れないのだから、人間たるもの恩知らずではいけない。
 
●犬も歩けば棒にあたる
 皆様ご存じの格言。元の意味は、「犬もそこらを出歩くと棒で殴られたりするかも知れぬ」ということで、「じっとしていれば何でもないのに、生半可に何かしたり、でしゃばったりするから、災いに合うのだ」ということ。しかし、このごろは「じっとしていないで何かやれば思いのほか、幸せにぶつかることもある」と、逆の意味で使われることも多い。どうせなら良い解釈をしたいですね。
 
●犬になるなら大家(おおや)の犬になれ
 主人を選ぶなら頼れる様な大物を選ぶのが良い。
 
●犬に肴(さかな)の番
 番をさせる者の選び方が適当でないことのたとえ。(同義=盗人に倉の番。盗人に鍵をあずける。)
 
●犬の糞(くそ)で敵(かたき)を取る
 卑劣な手段で仕返しをすること。
 
●犬の糞(くそ)に手裏剣(しゅりけん)
 つまらないことに貴重な物を使うたとえ。
 
●犬の遠吠え(とおぼえ)
 弱い犬は遠くから人に吠えかかる。臆病者は陰では虚勢を張り大きな陰口をたたく。
 
 まだまだありますが、犬にはいささかかわいそうなことわざが多いのでこのへんで終わりにいたします。。皆様もまた調べてみて下さい。
 格言、ことわざは昔からの知恵の結晶だと思います。言葉をしっかりと味わい、自分の生き方の教訓としたいと思います。(院長)
 
 
院長の医学雑誌への投稿原稿から
メディカルトリビューン誌
('05.12.22 ̄29合併号):
「研修医時代、
<自分の医療の原点>の思い出」

 院長の投稿した原稿が、医学雑誌に掲載されました。その原稿の一部をここでご紹介いたします。
 
『私が研修医の時、長野県佐久市のA総合病院にて1年間の出張研修をさせていただきました。 (中略)
 A病院には脳神経外科医が一人のみで、その脳神経外科医T先生は簡単な手術ならば医局に「たむろ」している医師を見つけては手術の助手をさせるという風な状況で、T先生の姿をみると、医局で休憩している先生は医局から出て行ったり、そそくさと急に机に向かって忙しそうなふりをしたり・・・。私も例に漏れず時々助手をさせていただき、局所麻酔下で慢性硬膜下血腫の患者さんの穿頭をさせていただいて、血腫の血液が吹き出てその直後に今まで意識混濁のあった患者さんが元気にしゃべり出すという、「感動的」な場面に立ち合わせていただいたこともありました。さらに、A病院でもやはり手術に立ち会う麻酔科医が不足していて、通常は外科系の医師が持ち回りで麻酔を担当していました。そんな状況もあって、外科の諸先生から「麻酔の技術を教えてあげよう」と、言葉巧みに(?)誘われ、いつの間にか毎週月曜日の麻酔担当医に組み込まれていました。そのおかげで気管内挿管はもちろんのこと、「麻酔医」として一人で担当できる位になりましたし、いろんな科の手術を間近に見させていただくという貴重な機会も得られました。もっとも、内科の先輩医師は、他科の医師に「嶋田君に内科の研修をさせる時間を残しておいてくれよ」と言っていましたが・・。
 
 当時、毎日が「医療漬け」で宿舎に帰るのが日付が変わってからという状況、冬になると終日氷点下の気温で、無精して宿舎の水道の管理を怠ると水道管が破裂して風呂にも入れず、予備の当直室で寝たり、「勝手知った」手術室の横のシャワーを借りたりと、宿舎に帰らないことも多くなりました。当時他大学から赴任していた先輩医師のY先生も同じような生活スタイルで、医局会で院長から「このごろ夜になっても家に帰らない医者がいます・・・」と注意をされ、自分たちのことだと、Y先生と顔を見合わせて苦笑いしたことを思い出します。
 
 以上のように、内科全般はもちろんのこと、各科の診療も経験させていただき、結果としてみれば、実践的な総合研修をさせていただいたのでした。しかしそれ以上にもっと大切な、「医療に対する基本姿勢」も学ばせていただきました。
 A総合病院に一旦受診した患者さんには最後まで責任を持つ、そういう気概がみなぎっていました。同じ規模の病院がまばらにしかなく、受診した患者さんを他の病院に転送するという選択肢は容易に選べない状況で、そういう事情は地方の病院に共通かもしれません。    (中略)  ある日のこと、同席していた外科医のポケベルが鳴り、深夜に急性虫垂炎の患者が救急受診し、重症のため緊急手術が必要で応援頼むと、当直医が連絡してきたのでした。その場に居合わせた医師は、一斉に病院に駆け戻り、自分は麻酔を担当しました。無事未明に手術が終了、通常の始業時間にはまるで何事もなかったように勤務。万事がこんな調子で、先輩の医師たちは休日の呼び出しにもまるで嬉々として病院に駆けつける、という具合でした。やはり、皆若かったのですね。
 
 さらに、事務職員・薬剤師・看護師・医師の4名がチームを組んで、雪の中を遠く離れた分院や患者さん宅に出かけるという機会もあり、チーム医療や在宅医療の片鱗も経験しました。
 とかく都会の病院・医院では、医療機関が豊富なこともあり、自分の責任範囲や守備範囲を少しでも超えれば患者さんを他の医療機関に委ねることが出来ますが、えてして「自分たちが何とかしなければ」という気概に欠け勝ちとなります。研修医時代を思い出しては、当時の気概を今の自分に吹き込み直すよう、努めております。』
 
 
(シリーズ)看護師 工藤真理のエッセイ
オルガさんのコート

 世間には、何故かしら気になる人が存在します。もちろん、愛する人や家族でもないのに。これは、私が学生だった頃に見かけた人の話です。
 北風が吹いてくると、コートをまとった人が増えてくる。そしてその中に、黒いコートを着ている人を見かけると、彼女を思い出すのです。
 実習病院の前は長い坂で、マラソンの時には<心臓破りの坂>と呼んでいたっけ。ふもとのバス停から寮に着くまでは病院に向かう人だけで、それとはなく観察してしまうのが癖だった。坂がきついので、抜かそうとしても互いの距離は縮まらずに、リズムまで同調してくる。
 「オルガさん」と心の中で呼んでいたのに、未だに本名は知らないままだ。クリームがかった白い髪。昔はブロンドだったかも。その頃、米国人の医師が外来に常駐していたので、けっこう外人は見かけた。でも彼女は、陽気とは言えず、たとえ真夏でもいつものコートをしっかり着込んで、歩いて行く。
 一度、見つめ過ぎたのか、顔を上げた拍子に目が合ったことがあった。くすんだ青緑の目でうるんでいた。会話するでも無いのに、どきどきした。だって、どこかに喜びを置き忘れて探しているような目だったから。
 辛辣な友人は、「魔女」と名付けていた。魔法を掛けられるのを恐がったのか。実際は、異国の地で病気になっただけの人なのに、何かざわめかせる雰囲気があった。
 あのコートはきっと、心を暖める効果があったのだろうと思う。<北風と太陽>という童話で、どっちが人間の服を奪えるか競争する話がある。あの太陽みたいにじわじわと、オルガさんのコートを誰かが脱がせてくれたのだろうか。こんなに年月が経ったのに、黒の厚手のコートを見るとオルガさんを探してしまう。